リスクアセスメントの曖昧さ


伊東 巌

リスクアセスメント・システム調査セミナー
日化協資料RA9−07(1998)

リスクアセスメントは天気予報と対比して考えると理解し易いと思う。
すなわち、雲は水で出来ている。空気中の水分が極めて少ない場合には雲にもならず晴天となる。水分が増加し目に見える形で凝結すると雲になり、雲の量が増えると曇天となる。さらに水分が増加し、雲が支え切れなくなると水滴となって地上に落下する。これが雨である。
化学物質も同様に、既に1500年頃に薬師パラケルスが「全ての化学物質は有害性があり、有益であるか有害であるかはその量によって決まる」と断言した様に、全ての化学物質はそれ自体何等かの有害危険性を持っている。ただ、我々が日常的に接する程度の量ではその有害危険性の限度を超えていないので、その物質は安全であるとされており、その量が限度を超えていれば危険な物質と定義されている。また、例え危険な物質であっても、その量が限度を超えていない状態に十分に管理されていれば安全が確保されているとされる。この十分に管理することがリスクマネジメントである。

天気予報では「明日、雨が降るか降らないか」を予測する。つまり、過去や現在に実際に起きている事実を論議するのではなく、将来起るであろう事象を予め予測し、それによって傘を用意すべきか否かを決めるための情報を提供する。
傘を携帯し実際に雨が降らなければ無駄な傘を持つ煩わしさという被害を被るし、傘を持たずに雨が降れば全身ずぶ濡れになるという被害を被る。この二つの被害のうちどちらを選択するかは選択者の自己責任による自己決定に任されており、天気予報はそれについての責任は負わない。

同様に、化学物質の安全性についても、急性毒性などその現場で直接問題になる様な危害に対しては、法律などの規制により一応の対策を既に終えている。従って、現在議論になっているリスクアセスメントの対象となる危害は、発癌性や慢性毒性など、このままの状態を放置しておけば将来発生するであろう毒性や、想定される状態で使用すれば消費者が被るであろう各種の危険性など、現実には起きていないが、将来起こるかも知れない危害についての、起る可能性を予測し、その結果により、その危害を回避するための手を予め打っておこうとするものである。

予測が外れ何の危害も起きなければ対策のための投資が無駄になり、対策を打たずに現実に何等かの危害が発生すれば被害者からの補償請求など大きな損害が発生する。しかしながら、対策を打つべきか否かを決めるのはその選択を任された管理者であり、管理者の自己責任による自己決断がアセスメントの基本となる。

一般には、傘を持つ煩わしさの方が雨に濡れることよりも軽いと思われており、傘を持って行ったにも拘らず雨が降らないケースの方が逆のケースより多い。化学物質の安全性も同じで、実際に危害が発生した時の被害の方が大きいので、安全サイドで予め予防対策を打っておき実際には危害が発生しないケースの方が多い。従って、評価の予測精度が良ければ効率的な対策が打てるし、予測精度が悪いと投資効率が悪くなる。

天気予報は、以前は晴・曇・雨のどれかを選択した表示を行っていたが、最近は1?以上雨が降る確率として表示するように変った。しかしながら、例えば「1?以上降る確率が80%と言われたので傘だけでなくコートまで着て行ったのに、ほんのパラパラ程度の雨しか降らなかったではないか」という苦情が出る様な勘違いが起きている。すなわち、80と言う値は、雨が降るか降らないかの可能性を示しているのであって、降った場合の雨の強さを表しているのではない。この対策として、最近では、「低気圧情報」など、雨が降った場合の強さに関する別の情報も合せて提供する様になっている。

化学物質についても、以前は、安全であるか/安全でないかのみが議論されていたが、最近ではどの様な有害危険性がどの程度の可能性で起るのかが論議される様になってきた。すなわち、ある設定された状態では、将来、どの様な危害がどの程度の可能性で起るのかを予測するのがリスクアセスメントである。

従って、リスクアセスメントはある仮定された状態での予想される危害の大きさとその危害が起る可能性について評価するものであり、その仮定が誤っていれば間違った評価結果になる。つまり、結果の表示には必ず前提である仮定条件を併せて記述しなければならない。

最近は局地の天気を予報する会社がベンチャーとして注目されている。気象庁は全国の予報は出すが狭い特定の地域での局地予報は出さない。しかしながら、例えばファミリーレストランやパチンコ屋などはその日の天候により客の入りや注文するメニューが変る。従って、全国的な天気予報では店員の手配や食材の手配の参考にはならず、ここにベンチャー企業が成り立つ余地がある。もちろん局地の天気は気圧配置など全体の天候に支配されているため、全国の予報が局地予報には欠かせない情報であり、お互いが補完しあってこそ精度の高い予報が可能となる。

化学物質の安全管理も同様に、行政が規制などで行う全国的な規模の安全管理と、各企業がそれぞれの使用状況に合せて管理を自主的に行う局地的な管理とが補完し合い、巧く噛み合うことにより精度の高い総合的な安全管理が可能となる。この二つの安全管理のためのそれぞれのリスクアセスメントは当然異なっており、両方が必要である。